人によって違う、理想的な美容室とは?!

理想的な美容室は、人によって求めるものが違います。美容師に容姿の美しさやスタイルの良さ、洋服や生き方のセンスなど、自分の髪を任せるにふさわしい美容師だと思っている人がいるところを理想的な美容室と定義する人もいるでしょう。また、 美容師にはその技術のみを求めて、自分にピッタリと合った髪型を提供してくれれば、その人のセンスや容姿など問題外だという人もいます。

美容室は、本来自分のステイタスのために行く場所ではありません。カットやパーマ、ヘアケアをしに行く場所です。その基本を考えると、私は顧客にあった髪型ができ、髪の毛に関する事もしくは頭皮に関する事で勝負をする美容室を求めます。「あの素敵な人に切ってもらっている私」を重要視する事は、「この素敵な家に住んでいる私」や「高級車に乗る私」のように、付随する部分を評価していて、自分自身の評価は付随するものによってしか価値が得られないことになります。

生活の中にちりばめられた、そのような的を少し外した事。それらが積み重なると、人間は何が大切で何が大切ではないかを見失う事になります。昔よく見かけたヤンキーと呼ばれた人たち、あの人たちは分不相応な高級車、飾り、集団、大音量など、それらを含めて自分だという表現をしていますね。裸一貫、自分自身だけで戦うのが怖い人たちです。言いかえれば劣等感の強い人たちの集まりです。このような人たちと、素敵な人に切ってもらう私。に価値を置く人は同じだということです。

その人たちが悪いという話ではなく、何かを含めて自分だと思い込んでいるのなら、それでは何が本物か、何が本質か、何が的を得たものかはわからなくて当然で、そういうものが“人それぞれ”感を生むということなのかもしれません。しかし、自分にピタリと合った髪型を追求したいなら、ヤンキー方式で生きていては、なかなか出合えないのではないでしょうか。

それとも、髪型だけ見ても、どんなおしゃれな人がカットしてくれたかなど見えないけれど、それもコミコミで幸せな気持ちになるのでしょうか。その辺の気持ちを心理的に分析していくと「あの美容室に行っている」と言いたいということになります。言いたい、聞いてほしい、わかって欲しいという気持ちを常に持っている人は、今の自分に満足していない人ということになります。

私、本当はこうなのよ、本当の私はこうです。みんなわかって、本当の私を見て。という欲求がありますが、それは決して本当の私ではないことに気が付いていません。偽りの私を本当の私として見てほしいという事です。それに価値があると勘違いしている人です。こうなると美容室選びどころか人間関係にもつまづきがあり、家庭内でもうまくいきません。当然職場でもです。

人はシンプルに生きれば生きるほど幸せです。シンプルに生きている人ほど何が大切かを理解しています。つまり、シンプルに生きる人ほど本物の美容師に出会えるし、出会えたときに「見つけた!」と思えるのです。せっかく目の前にいても、見つけられなければ生涯出会う事はありません。美容室も他のものも、本物みーつけた!と思える人生だと楽しいと思いませんか?!